寺内寿太郎

寺内寿太郎(日语:寺内 寿太郎てらうち じゅたろう,1900年?-?)是日本昭和初期的诗人。著有一行詩「生れてすみません」(生而在世,我很抱歉),此句被误认为是日本小说家太宰治的名言之一,在太宰治的短篇小说“二十世纪旗手”里被用作副标题[1],但这个句子是盜用寺内寿太郎的[2],而暴露出此事的是太宰治的友人山岸外史(評論家)[3]

脚注编辑

  1. ^ 二十世紀旗手――(生れて、すみません。). 青空文庫. [2015年3月14日] (日语). 
  2. ^ 竹山. 現代日本文学「盗作疑惑」の研究―「禁断の木の実」を食べた文豪たち. 日本: PHP研究所. 2002/04. ISBN 978-4569621500. 
  3. ^ 山岸外史. 人間太宰治. 日本: 筑摩書房. 1989/08. ISBN 978-4480023377 (日语). 「ぼくはふと太宰に〈生れてすみません〉というこの一句の話をはじめたのである。その題は、〈遺書〉で、ただの一行だけの詩であった。ぼくの従兄弟の寺内寿太郎の作品であった。」 この寺内という人は詩人を目指していたようで、山岸にその詩を見せ、それを後日、山岸は太宰に話したといいます。そして、「二十世紀旗手」が発表されると、寺内は、「『これはどうあっても、外史君が関係している。それ以外に、太宰治にあの詩がつたわるはずがない。君の責任を問う』」と怒り心頭になったようです。さらに「『あれは、太宰の盗用だと発表しよう』」と言い始め、それを山岸が必死になってやめさせたということです。これに対して、太宰は言い訳をしたらしく、『じつは、いつとはなく、あの句は山岸君のかと錯覚するようになっていたのですよ』」と。その後、寺内は憂鬱症が高じ、行方不明になった、と山岸は書いています。