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元寇 (军歌)

永井建子于1892年创作的日本军歌

元寇(日语:元寇げんこう)是1892年(明治25年)的一首军歌。词曲作者为永井建子日语永井建子

元寇
元寇歌曲碑.JPG
筥崎宮中的元寇歌曲碑

日本军歌
作词 永井建子,1892年
作曲 永井建子,1892年

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此歌以“元寇”为名,实际上则是借用了历史上元日战争为题材创作的,用以激发日本民众的民族自尊心。而此后的1894年爆发了甲午战争

历史上,1274年、1281年,元朝挑起元日战争,两度入侵日本。但严重受制于恶劣的天气,所以以失败告终。其时日本国难当头。所以如今谱写此曲有引用昔日英勇无畏的精神、奋勇战争之意。

歌词编辑

日文原文编辑

一、(鎌倉男児)
四百余州(しひゃくよしゅう)を挙(こぞ)る 十万余騎の敵
国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり
正義武断の名 一喝して世に示す

二、(多々良浜)
多々良浜辺の戎夷(えみし) そは何 蒙古勢
傲慢無礼もの 倶(とも)に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕(かいな)
ここぞ国のため 日本刀を試しみん

三、(筑紫の海)
こころ筑紫の海に 浪おしわけてゆく
ますら猛夫(たけお)の身 仇(あだ)を討ち帰らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の
神ぞ知ろし召す 大和魂(やまとだま)いさぎよし

四、(玄海灘)
天は怒りて海は 逆巻く大浪に
国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るは唯三人(ただみたり)
いつしか雲晴れて 玄界灘 月清し

翻译编辑

一、(镰仓男儿)
四百余州皆举兵 敌军十万余骑
此时国难当头 正值弘安四年夏之时
我们何故而惧? 有镰仓男儿在此
挟正义武断之名 大喝一声,示众举世

二、(多多良滨)
多多良滨边的夷寇 正是其蒙古之势
傲慢无礼者 我等与之不共戴天
携忠义之魂前进 锻炼我等技艺
今次为了国家 去测试这日本刀

三、(筑紫之海)
心中常驻筑紫海 只求破浪前行
以此粗犷猛夫之身 不讨此仇势不归
即便牺牲亦做护国之鬼 我等于箱崎立誓
得神灵感知而召往天国 大和魂永洁不染

四、(玄海滩)
苍天暴怒于大海 海上巨浪翻卷
为此国家之仇者 其十余万蒙古之势
海中藻屑散尽时 幸存者唯三人
待何时云散尽 玄界滩之明月照耀