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江戶城(日语:江戸城えどじょう edo jō */?)是位於日本東京都千代田區千代田(古武藏國豐島郡江戶)的城堡,別名為江城江城こうじょう kōjō ?)、千代田城千代田城ちよだじょう chiyoda jō ?),為日本規模最大的城郭,周長含外郭約4日里(15.6公里)。江戶時代的統治者德川將軍家在此居住歷經十五代,统治二百六十五年,至1868年遷出為止。其城址即現今的皇居,但使用區域與江戶時代有所不同。

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江戶城
東京都
江戶城描繪圖
江戶城描繪圖
日語漢字 江戸城
平假名 えどじょう
羅馬字 Edo-jō
通稱 皇居
城郭構造 平城
天守構造 層塔型五重五階加石垣內一階
建造者 太田資長
建造年份 1457年(長祿元年)
主要維修者 德川家康秀忠家光(江戶時代)
宮内省宮内廳(明治以來)
主要城主 太田氏後北條氏(戰國時代)
德川將軍家(江戶時代)
天皇家(明治以來)
現存遺跡 石垣、堀、櫓、門、土壘
文化財級 國家重要文化財(櫻田門、田安門
清水門)
重建部分 富士見櫓、伏見櫓・多聞櫓
櫻田巽櫓、田倉門
經緯度 35°41′17.97″N 139°45′15.72″E / 35.6883250°N 139.7543667°E / 35.6883250; 139.7543667

目录

概略编辑

十二世纪初,江戶是平安時代發生的地名,為武藏國江戶鄉,最早出現在鐮倉時期的書籍《吾妻鏡》,江戶意思是江川(荒川)的出海口或入湖入川口。秩父地區秩父氏(武藏國守代理職河越氏分家,畠山氏的分家)的分家,秩父重綱之子四朗,在江戶櫻田築居館(現在皇居的本丸、二之丸範圍),並以地方為「名字」,改名為江戶重繼。以地為名因此得名「江户城」。长禄元年(1457年),扇谷上杉氏的家臣太田道灌开始修筑江户城。以后,随着扇谷上杉氏的衰落,于16世紀初成為了後北條氏的一座支城。城南的品川湊自古為武藏國府的外港港區,淺草的江戶湊亦為室町時代武藏國知名的港區(海上稱港,陸上設施稱湊)。與神奈川湊(橫濱)為東京灣三大繁榮港市,太田道灌時期即形成城下町,有一定的發展。

天正十八年(1590年),關白豐臣秀吉藉故討伐後北條氏,于小田原之战攻陷小田原城,沒收後北條氏領地統一天下,德川家康入封关东,以江户为居城,江户城开始繁荣起来。庆长6年(1601年)闰11月2日江戶大火全城焚毁。庆长八年(1603年),家康在江户开设了延續二百多年的江户幕府,著手增築江戶城,最大規模為擁有五重六層天守。歷經三次修築,最終天守於1657年明曆大火中燒燬,三代天守扣除中間修築時間,天守總共存在僅五十年不到,改由富士見櫓替代,石垣高7間(實際11公尺),長18間寬16間(28m×25m),含石垣建築總高度22間半(35公尺),矮於大阪天守與駿府天守,因位於大奧後方遂放棄建築,但是經過多次大火。現今有很多部份仍然未能確定。从此,作为幕府將軍的居城,成為全國幕政中心,加上參勤交代的建立,以整個日本的力量發展江戶,大量不事生產的武士家族於此繁衍,服務武士階層的商人、工匠、使役作為町人亦大量湧入,在江戶幕府中後期終於趕上京都、大阪成為经济中心,江户城得到很大的发展,最终形成了现在的东京。江戶亦為全球歷史上知名的火災城市,江戶幕府267年間,包括1601年全城焚毁的大火共49次,大小火災1798次。

明治元年(1868年),江戶城由維新政府接管。3年後,天皇入住,成為了居城。1948年更名為皇居。部份城內建築,如冰川神社以及喜多院被移往其他地方。目前被日本政府指定为国家的「特别史迹」。

參見编辑

參考文獻编辑

  • Ponsonby-Fane, Richard A. B. (1956). Kyoto: The Old Capital of Japan, 794-1869. Kyoto: The Ponsonby Memorial Society.
  • Schmorleitz, Morton S. (1974). Castles in Japan. Tokyo: Charles E. Tuttle Co., pg. 99-112. ISBN 0-8084-1102-4.

註釋與外部連結编辑

  1. ^ なお宮上案に従えば、三代の天守は壁面・瓦の材質・破風の配置などを除けば、基本的に同じ規模・構造をしていた。
  2. ^ 多大な支出ばかりが嵩んでいた幕府財政の、近年中のさらなる悪化・破綻が予想されたため、という説がある。
  3. ^ その名残として、天守曲輪に当たる御休息(数寄屋、富士見)多聞櫓の北側から石室(西側二重櫓跡)までの本丸の石垣は現在も他より一段高くなっている。
  4. ^ 7重・9重には「何段にも重なる」という意味もあるので、5重の可能性が高い。
  5. ^ ただし金澤案は『愚子見記』の、三浦案は『愚子見記』『当代記』双方の記述内容に矛盾する。
  6. ^ 後に二ノ丸東照宮として移転。また、『津軽家古図』には最上階上々段に東照宮があったと記載されている。
  7. ^ 江戸城天守 天高く 高さ58.63メートル、攻撃装置ない太平の象徴. [2018-08-30]. (原始内容存档于2015-12-22). 
  8. ^ 中江克己. 江戸の醜聞事件帖: 情死からクーデターまで. 学研M文庫. 2010: 159. ISBN 978-4-05-901265-8.  已忽略文本“和書” (帮助)
  9. ^ 第36回 「江戸城にお能を見に行く!」展「千代田之御表」東京都立図書館、2009.11.24
  10. ^ 櫓の数や規模は時期により異なるので、これは一例である。
  11. ^ 11.0 11.1 平井聖・松岡俊郎ほか執筆『江戸城』学習研究社 1995年
  12. ^ 御殿の門なども含んだ数。主要な門57棟の内、櫓門は45棟。更に枡形を構成しているのはおよそ39棟。
  13. ^ 現在の同心番所は門の中に移転している。