使用者:Derek9641/日語的混亂

ら抜き言葉的例子(規範形式是「食べられる」)
在這種情況使用「させていただく」也被視為是有問題的(規範形式是「休業いたします」)
被視為錯誤敬語使用的例子(規範形式是「お済みになったら」)

日語的混亂(日本語の亂れ),是指由於語言的變化,從規範日語發展出的其他用法。在日語也被稱作「ゆらぎ」「ゆれ」、「縺(もつ)れ」。

「語言的混亂」的概念

編輯

語言的變化常見於私人的口語對話中,也很容易被接受。另外,藝術和文藝等創作活動中使用的日語在語言政策的制約對象之外,用法不受限制。同時,文體和正式的口語非常保守,要求慎重使用語言。但是正式的口語也難避免受語言變化的影響。例如1945年和2006年首相的演說中,助詞和助動詞的使用就有很多不同之處[1]

「語言的混亂」這種帶有價值判斷的概念在語言學中並不存在,但在語言政策等領域卻經常被提及。[2]這種差異反映了「記述語法」和「規範語法」的思維差異。記述語法是指語言學中,根據實際語言的使用而描述的語言的規律性、規律性。記述語法中「語法有問題」「不合語法」指的是該語言中不存在這樣的表達和用法。另一方面,規範語法是指該語言的使用者應該效仿的語言規則。規範語法中的「語法上不正常」指的是在該語言中可以看到有人使用,但偏離了規範的規則。如果偏離規範語法的話就是「語言的混亂」。

なに事を言ひても、「そのことさせんとす」「いはんとす」「なにせんとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「いはむずる」「里へいでんずる」など言へば、やがていとわろし。
— 枕草子
無論你怎麼說,從「そのことをさせむとす」「言はむとす」「何とせむとす」裡去除「と」,說成 「言はむずる」「里へ出でむずる」的話,就會立刻變成一個很不好聽的詞。
— 枕草子

古今中外,語言的變化都被視為是負面的。但是語言本身就是會改變的。也有很多在某個時代被視為誤用和混亂的用法,卻在後世成為固定用法的例子。例如《枕草子》的作者清少納言就有在書裡評論道:把「むとす・んとす」講成「むず(る)・んず(る)」是非常不好的(いとわろし)。但是「むず(る)」在中世日語卻被認為是助動詞之一。

批判

編輯

金田一春彥認為日語並沒有變得混亂。以下為他提出的幾點原因:

  • 從音系上來看,有口音的人正在明顯減少。
  • 語法上來說,現在日語中許多被認為是混亂的用法實際上可以追溯到戰前。並且許多變化都提高了表達的清晰度和邏輯性,所以這些用法應該受到歡迎。
  • 從整體上來看,日語以前只有地方方言,不同地區之間交流困難,但是現在日語正在統一為一個語言。所以日語並沒有在走向混亂。

還有以下指出的其他觀點:

  • 語言本來就是會變化的[3]
  • 日語會根據音韻、形態、統語的制約省略一些可以理解的規則。並且也反映了語言的易說性[3]
  • 正しい日本語の想定を批判する立場としては、本來は市民権を得ている生きた日本語を想定する必要がある[4]
  • 明治維新後、人們被迫使用標準語,不遵守的人會被懲罰(參見:方言札)。受這種意識形態影響所制定的規範是有問題的[4]
  • 他會創造一種只要不正確就會被壓抑的環境[4]。現代日本的憲法保障思想和表現的自由。現代社會人人平等且享有基本人權。
  • 有溝通疏離的問題[4]

同意

編輯

制定或被視為制定語言規範的機構(如教育部、文部科學省日本廣播公司)接受必要的變更,甚至在某些情況願易主動更改規範。


1905年(明治38年)に定められた『文法上許容スベキ事項』では、當時の書き言葉に現れていた「従來破格又は誤謬と稱せられたるもの」の一部を追認した。この時に追認されたものには「〜なるもの」「挑戦するも果たせず」といった表現があり、それぞれ従來は「〜というもの」「挑戦すれども果たせず」としなければ文法的に誤りだとされていたが、これらを誤用と認識する人は現在では少なくなっている。


二戰後因為當用漢字的制定,使使用的漢字數量減少,並簡化了字體。並使用無視語法或詞源現代假名遣書寫現代標準日語的發音(參見國語國字問題)。1952年、國語審議會發布的『これからの敬語』試圖簡化敬語[5]

2018年,文化廳文化審議會國語分科會 對溝通方式和詞語的使用進行研究,並出版《分かり合うための言語コミュニケーション》。

そもそも言語は変化するものであるとし、地域差もあれば、同じことを表現するのに複數の方法も考えられ、通用しやすい言葉遣いをする必要はあるが、伝統・標準だけが正しいとか、あるいは自分の基準以外を誤りと見なさず、他者の言葉遣いには寛容さを求めた。コミュニケーションでは、時には異なりを認め、伸び伸びとした伝え合いが求められる[6]

具體例子

編輯

下面的例子是在標準語(全國通用語)中被指出為不規範的用法,並且根據地區或階級的不同,它們可能被已經使用了很長時間,並且可能不被認為``混亂」。

來源

編輯

ら抜き言葉

編輯

連接上一段活用下一段活用カ行変格活用動詞未然形,表示被動・尊敬・自發・可能的助動詞「られる」和表示可能「られる」變化成和五段活用可能動詞一樣的「れる (-eru)」的現象。 例如「見る」的上一段活用動詞、「食べる」的下一段活用動詞、「來る」的活用之一カ変動詞表示可能時,使用「見れる」「食べれる」「來れる」等不包含「ら」的變形被稱為「ら抜き言葉」。雖然在語言規範的立場來說是誤用的一種,但是在中國、四國、近畿、東海地方從很久以前就是慣用用法。並且在江戶時代初期就已經發生過從「読まれる」到「読める」的五段動詞可能型變化。還有一種觀點認為,「見られる」到「見れる」的變化會消除尊敬型和被動型之間的曖昧,是一種合理的變化。[7][8]

此外,一部分的方言(關東和新潟方言等)中,存在把「見られる」「食べられる」「來られる」的未然形(詞尾為「ない」時)變成「見らんない」「食べらんない」「來らんない」等,「れ」會變化成「ん」用法。在學習日語文法時,學生會被教導把「ん」換成「れ」,所以對「ら抜き」有強烈的違和感。並且像現在常用的ら抜き言葉「着れない」,在新潟還保留著「着らんない」(着られない)的用法。

さ入れ言葉(さ付き言葉)

編輯

把「歌わせてください」說成 「歌わさせてください」等、加入多餘的「さ」的現象[9]。在如「…させていただく」等敬語表現中很常出現。雖然本來是誤用,但是也有觀點認為這已經是眾所皆知的用法[10]

「〜たり」的用法

編輯

把動作或狀態並列陳述時使用的助詞たり」。在規範的語法中應該如「〜たり,〜たり」,重複的使用[11](例:本を読んだり、音楽を聴いたりして)。但是近年來有省略後面的「たり」的趨勢[12](例:本を読んだり音楽を聴いて)。「〜たり〜たり」の語法が守られない背景には、前の「たり」との間にさまざまな節が入り長い文章になったとき、「〜たり〜たり」の語感が薄れる傾向があることや、類似事例の存在を暗示する「たり+する」の用法が「〜たり〜たり」に転化した結果、並立助詞としての機能と曖昧な例示のとして機能の使い分けが厳密に運用されなくなったことが考えられる[11]

「〜と」的用法

編輯

在並列陳述單詞使用的助詞」。雖然在規範語法中應該重複「と」,但是在實際使用中經常省略。例如:

  • 「AとBとは異なる」→「AとBは異なる」
  • 「AとBとを対象とする」→「AとBを対象とする」

全然+肯定表現

編輯

「全然」は、明治時代から戦前までの近代語では否定表現を伴わず「すっかり、ことごとく、完全に、全面的に」として用いられてきた(戦前の文學作品には否定表現を伴わずに「全然」が用いられる例が多く見られる[13][14]。「全然違う」、「全然だめ」、「全然反対」、「全然別」など、「全然」に修飾される語に否定的な要素が含まれたものも古くから使われている[14]。 )が、文部省教育の定着と世俗の中で昭和中期に肯定用法の使用が減少し、戦後は打消しの言葉や否定的な表現を伴って「まったく。まるで。少しも。まるっきり。」として用いるのが正しい用法とされた。しかし、最近は明治時代から戦前までの「全然」とは違った意味での否定を伴わない用法が増え、これが誤用、若しくは俗用として扱われている。

すると警保局長は全然出版に反對の意を仄めかした。

——夏目漱石,『『煤煙』の序』1909(明治42)年

妻を迎へて一家團欒の樂を得ようとして、全然失敗した博󠄁士も、此城丈は落されまいといふので、どうしても母君と一しよに食事をする。

——森鷗外,『半日』1909(明治42)年

これと全然同じ話が支那にもある。

——芥川龍之介,『才一巧亦不二』1925(大正14)年

敬語に関するもの

編輯

形容詞/動詞+です

編輯

丁寧な斷定の助動詞「です」が形容詞や動詞に接続することが誤った用法とされることがある。しかし、どちらも古くからある形である。たとえば田山花袋『蒲団』(1907年)には「好いですよ」「困るです」などが多く使われている。

このうち「おもしろいです」のように形容詞に接続するものについては、1952年國語審議會『これからの敬語』で容認された。ただし、過去形では「おもしろいでした」はあまり用いられず、「おもしろかったです」が普通である。

動詞に接続するものについては『これからの敬語』でも認められず、「です」の接続はおかしいという感覚をもつ者が現在でも多いが、井上史雄は將來的に動詞も含めてすべてに「です」が付くようになるだろうと予測している[15]。なお、近年は「〜っす」という形が一部で用いられるが、これは品詞を問わず接続する[16]

とんでもございません

編輯

「とんでもない」は全體で一つの形容詞であるから、丁寧形は「とんでものうございます」もしくは「とんでもないことでございます」などと言わなければならず、「とんでもございません」は誤りとされることがある。

しかし、2007年の文化審議會による『敬語の指針』にて容認された[17]。「とんでもない」は、形容詞の「とでもない」(とでもなし)に、撥音便に類推する「ん」が付加されて生じた語であるという説がある[18][19]。また、「とんでもない」の「ない」は、前置された語素(とんでも)に対し、「そのような狀態にある」という意味を付加して、語全體を形容詞化する接尾辭であり、打ち消しの意味を持たないという説がある[20]

2004年の『明鏡國語辭典』では、語法欄で「とんでもありません」「とんでもございません」の形でも使うと述べた[21]。同辭典編集委員で筑波大學教授の矢澤真人は「とんでもない」の「ない」の語源を辿れば、形容詞の「ない」であるとし、文法的にはこれを「ありません」や「ございません」に置き換える理由はそれなりにあり、「とんでもありません」「とんでもございません」が文法的に誤りだということはないとしている[21]

仮に「とんでもない」が一語であれば、丁寧形は「とんでものうございます」のはずだが、それでは変なので、「とんでもない」は多少は分解を許す形であり、「とん」が元々名詞性の語だと仮定すれば「とんでもございません」はありうる形だと、敬語の専門家で東京大學教授(當時)の菊地康人は述べている[22]

文化庁國語課は、社會で広く使われてきた表現として、「とんでもございません」はこれからさらに定着していくと考えている[23]

おいしくいただけます

編輯

「いただく」を謙譲語とみなせば、聞き手の行動を謙譲語にしているこの表現は敬語として誤りとなるため、「おいしく召し上がれます」が正しいことになる。文化庁國語科による1997年の調査では、この表現が「気になる」と答えたのはわずか一割程度である。井上史雄は、この調査結果から、ここでの「いただく」はすでに謙譲語の意味を失って「たべる」の丁寧な言い方になったと判斷した。さらにいえば、「たべる」自體も古くは謙譲語である。「いただく」が単に「たべる」の丁寧な言い方になったのは、「たべる」が謙譲語としての意味を失って単に「食う」の丁寧な言い方になった歴史の繰り返しである[24]

ご乗車できません・お書きできません

編輯

「乗車できません」を尊敬語にする場合「ご乗車になれません」が適切な形で、「ご乗車できません」は誤りである(「ご乗車いただけません」「ご乗車はできません」も正しい言い方である)。同様に、「書けません」を尊敬語にする場合「お書きになれません」が適切な形で、「お書きできません」は誤りである。「お(ご)......できる」という形だと、尊敬語ではなく謙譲語「お(ご)......する」の可能形になってしまう[25]。このような表現を一般的に広く使われているものと認めながらも、広く使われているからといってこれを「よし」としてしまうと、敬語の二つの大きな柱である尊敬語と謙譲語の區別ができなくなり、敬語が基本から壊れてしまうとして斷固として認めない立場もある[26]

ご利用される

編輯

「ご利用される」は、その成り立ちを「ご利用+される」と考えることができ、その場合においては「ご利用される」は尊敬語としてはあり得る形だとされる。ただし「ご利用される」の「ご……さ」の部分が「ご……する」という謙譲語の形であり、これに「れる」という尊敬語が付いた「謙譲語+尊敬語」の組み合わせだと見られることなどから、現時點では「適切な敬語ではない」とする考え方が有力とされる。「ご利用になる」・「利用される」・「利用なさる」が適切とされる形である。

「〜させていただく」の亂用

編輯

何らかの許可を得て恩恵を得るという「させていただく」のほかに、単に「いたす」の代用として「〜させていただく」と言うことは批判的な意見が多い。元は近畿地方の表現であり(伝統的に関西ではへりくだった遠回しな表現を好む傾向がある)、関西ではそれほど「させていただく」の多用が問題視されていない[27]井上史雄は、このような表現が関西から東京へ広まったのは1950年代と考えている[28]尾藤克之は東洋経済オンラインのなかで、2009年に民主黨政権が誕生して以降に急増したと解説。國會會議録検索システムで過去の議事録を精査した結果を根拠として挙げた[29]

名詞を修飾する「〜ます」

編輯

「こちらにあります鉛筆で〜」のように名詞を修飾する動詞に「ます」をつける用法も、厳しい敬語指導書では批判され、NHKでもあまり使わないように指導している[30]。外國人に対する日本語教育でも、名詞の前の動詞には「ます」を付けないという文法規則として教えている。これを問題視する立場からは「こちらにある鉛筆で」のように「ます」をつけずに言うのが望ましいことになるが、生きた言葉を規制するのは難しく、現実には「ます」をつけた言い方も広く聞かれる[31]

接客に関するもの

編輯

若者に多い事例

編輯

表記に関するもの

編輯

長音符號

編輯

長音符號は音引き・伸ばし棒とも呼ばれ、カタカナで用いられる。近代の一時期には文部省発行の小學教科書などで「おじーさん」のようにひらがなに長音符號を使用した例もあるが、昭和61年告示第1號『現代仮名遣い』でひらがなに長音符號を用いるのは誤用と規定された。

送りがなの區別

編輯

「行」は「い・く/ゆ・く」「おこな・う」の2つの訓を持つが、連用形や過去形では両者の區分が付かない(「行った:いった/おこなった」)。このため便宜的に「おこなう」の送りがなを「おこ・なう」として區別することがある。昭和48年內閣告示「送り仮名の付け方」において「行う」が「本則」であるが「行なう」も「許容」されている。

外來語のカタカナ表記

編輯

外來語をカタカナ表記する際、長音符の有無には日本國內の公式の規格內においても揺れがある。內閣告示による外來語の表記の基準[32]では、原則として長音符を付ける(例:コンピューター)が、慣用に応じて省略してよい(例:コンピュータ)としている。日本産業規格(JIS Z8301)では、その2008年版では3音以上の言葉の場合は、長音符を省略するとしていたが、2019年版では、そのような規定を廃止し、內閣告示に完全に準拠している[33]

また、文部科學省の「外來語の表記(內閣告示第二號)」では「『ハンカチ』と『ハンケチ』、『グローブ』と『グラブ』のように、語形にゆれのあるものについて、その語形をどちらかに決めようとはしていない」としている[34]。ただし、商標などのカタカナ表記に対しては登録されている語形を正しいものとする。

発音に関するもの

編輯

「舌鼓(したつづみ)」を「したづつみ」、「雰囲気(ふんいき)」を「ふいんき」と言うなど、音位転換(音位転倒)によって規範から外れた語形が生じることがある。ただし音位転倒で生じた変化のなかには、以下のように既に定着しているものもある[35]

  • あらたし[注 1]→あたらし(い)
  • 山茶花(さんざか)→さざんか

その他

編輯
  • 助詞の「へ」と「に」との使い分けは、「へ」が方向、「に」が到達點を意味するとされるが、混用が見られる。
  • 誤読と見なされる例:「體育(たいいく)」→「たいく」、「原因(げんいん)」→「げいいん」

腳註

編輯

Template:腳註ヘルプ

注釈

編輯
  1. ^ 形容動詞形は「あらた」

出典

編輯
  1. ^ 鈴木崇史; 影浦峽. 時代による総理大臣演説の文体的変化. じんもんこん2006論文集. 2006-12-14, 2006: 145-152.  已忽略文本「和書」 (幫助)
  2. ^ 金田一春彥『金田一春彥著作集 第二巻』玉川大學出版部、2004年、96頁。
  3. ^ 3.0 3.1 佐々木一隆. 現代日本語の「乱れ」とこれからの日本語. 外國文學. 2006-03-20, 55: 97-106. hdl:10241/00006791.  已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略文本「publisher宇都宮大學外國文學研究會」 (幫助)佐々木一隆. 現代日本語の「乱れ」とこれからの日本語. 外國文學. 2006-03-20, 55: 97-106. hdl:10241/00006791.  已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略文本「publisher宇都宮大學外國文學研究會」 (幫助)佐々木一隆. 現代日本語の「乱れ」とこれからの日本語. 外國文學. 2006-03-20, 55: 97-106. hdl:10241/00006791.  已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略文本「publisher宇都宮大學外國文學研究會」 (幫助)
  4. ^ 4.0 4.1 4.2 4.3 三代純平; 鄭京姫. 「正しい日本語」を教えることの問題と「共生言語としての日本語」への展望. 言語文化教育研究. 2006-10-31, 5: 80-93.  已忽略文本「和書」 (幫助)三代純平; 鄭京姫. 「正しい日本語」を教えることの問題と「共生言語としての日本語」への展望. 言語文化教育研究. 2006-10-31, 5: 80-93.  已忽略文本「和書」 (幫助)
  5. ^ 土岐善麿(國語審議會會長)「人をさすことば」『これからの敬語』1952年4月14日
  6. ^ 引用錯誤:沒有為名為分かりあうための的參考文獻提供內容
  7. ^ 井上史雄, 日本語ウォッチング, 岩波書店: 9–15, 1998, ISBN 978-4004305408  已忽略文本「和書 」 (幫助)
  8. ^ 小松英夫, 日本語はなぜ変化するか, 笠間書院: 232, 1999  已忽略文本「和書 」 (幫助)
  9. ^ 北原保雄, 問題な日本語, 大修館書店: 102, 2004, ISBN 4469221686  已忽略文本「和書 」 (幫助)
  10. ^ 陣內正敬, 日本語の現在(いま)-揺れる言葉の正体を探る-, アルク: 27–32, 1998, ISBN 978-4872349498  已忽略文本「和書 」 (幫助)
  11. ^ 11.0 11.1 『「〜たり、〜たり」を省略しない理由』[失效連結] - 毎日ことば、2017年08月20日閲覧。
  12. ^ 『「〜たり〜たり」』 - NHK放送文化研究所、2017年8月20日閲覧。
  13. ^ 文化庁國語課, 文化庁国語課の勘違いしやすい日本語, 幻冬舎: 136–137, 2015, ISBN 9784344978485  已忽略文本「和書 」 (幫助)
  14. ^ 14.0 14.1 北原保雄, 問題な日本語, 大修館書店: 18, 2004, ISBN 4469221686  已忽略文本「和書 」 (幫助)
  15. ^ 井上史雄『敬語はこわくない 最新用例と基礎知識』講談社現代新書、1999年、108頁。
  16. ^ 井上史雄『敬語は変わる (大規模調査からわかる百年の動き)』大修館書店、2017年、24-26頁。
  17. ^ とんでも‐な・い テジタル大辞泉. [2018-02-21]. 
  18. ^ とでも‐な・い テジタル大辞泉. [2017-05-13]. 
  19. ^ とでも な・い 三省堂 大辞林. [2017-05-13]. 
  20. ^ な・い テジタル大辞泉. [2018-02-21]. 
  21. ^ 21.0 21.1 北原保雄, 問題な日本語, 大修館書店: 111–113, 2004, ISBN 4469221686  已忽略文本「和書 」 (幫助)
  22. ^ 菊地康人, 敬語再入門, 丸善: 172–174, 1996, ISBN 978-4062919845  已忽略文本「和書 」 (幫助)
  23. ^ 文化庁國語課, 文化庁国語課の勘違いしやすい日本語, 幻冬舎: 110–111, 2015, ISBN 9784344978485  已忽略文本「和書 」 (幫助)
  24. ^ 井上史雄『敬語はこわくない 最新用例と基礎知識』講談社現代新書、1999年、70頁。
  25. ^ Template:Cite 敬語指針2007
  26. ^ 沢昭子、白石章代、日本話しことば協會『あなたの日本語大丈夫?』、産経新聞出版、2005年、108頁。
  27. ^ 奧山益朗「させていただく」『日本人と敬語』東京堂、1972年
  28. ^ 井上史雄『敬語はこわくない 最新用例と基礎知識』講談社現代新書、1999年、160頁。
  29. ^ 「させていただく」多用する人にモヤっとする理由(東洋経済オンライン)
  30. ^ 放送用語委員会 (PDF). [2017-8-5]. 
  31. ^ 井上史雄『敬語はこわくない 最新用例と基礎知識』講談社現代新書、1999年、110頁。
  32. ^ 外來語の表記 留意事項その2(細則的な事項) 文化庁、1991年(平成3年)6月28日 
  33. ^ Z 8301:2019 附屬書H (規定)文章の書き方並びに用字,用語,記述符號及び數字、p.100、H.6 外來語の表記  外來語の表記は,主として「外來語の表記(平成3.6.28 內閣告示第2號)」による。
  34. ^ 外来語の表記. 文部科學省. 1991-06-28 [2021-09-27]. (原始內容存檔於2019-11-18). 
  35. ^ 田幸和歌子. 「ふいんき」や「たいく」の仲間? 「多いい」. エキサイトニュース. 2014-07-02 [2021-09-27]. 

関連項目

編輯

外部リンク

編輯

Template:デフォルトソート:にほんこのみたれ